足し算の世界から掛け算の世界へ

自分らしさというものが進んだ先に何があるのだろうか考えてみました。

これは、一人間の理想論のような雑談です。

思考の一つの種になれれば幸いです。

横軸で考える他者との発展

自分と誰かと繋がり、何かを生み出す力について考えてみます。

足し算

私という色が、それぞれで発揮されている状態で他者と繋がるとき、”個”という意識が強すぎれば『1+1=2』になるのだと考えます。「こうあるべき」思考を持つことは悪いことではありませんが、ただ相手を否定して押し付けるようなものは”我”であり、エゴであると考えるからです。

クセの強い持ち手がバネみたいになっているナイフと、すごくエコで紙ストローみたいな素材でできたフォークでハンバーグを食べるとしたら、食べれなくはないし、そのほか使えないのならあるだけ嬉しいけど、食べづらいです。

しかし、強すぎる個性の唯一の利点は、偏りのあるものには必ず『信者』ができます。いわゆる『〇〇派閥』とか『〇〇魂』とかそんな感じ。それらが、スポーツマンシップに則ったチームや、音楽性の高いバンドと違うのは、敵対しているということです。

(※男女の違いに関しては、元々違う種類のものですから、”偏り”という言葉でまとめるのは論外だと述べときます。)

掛け算

かわりに、個性が輝きだし、一緒に手を携え、協力し合うようになったとき、その力は相乗するのだろうと考えます。乗算といっても、それは1+1=3にも4にも10にもなるようなそういう計算です。掛け合わせることは無限に広がりがあるのだろうと思います。

人の繋がりを横軸で考えれば、”協力しあった方が大きいものができる” ということです。
(※馴れ合いではなく、競争というか、お互いを高めあうイメージ)

縦軸で考える他者との発展

社会での生活において自分と誰かと繋がり、何かを生み出す力について考えてみます。

主従関係

立場や役職により上下関係が発生し、献上と報酬があるような関係です。昔の時代のような繋がりで(漫画しか知らない)、豊かな庶民は殿様のために働いたり、もしくは悪徳政治に庶民はヒーヒー言うような、早くケンシロウの登場を待つような関係です。

助け合い

お互いのできることを知り、力が多少あるだけで、重たいドアに困っている人がいれば開けるだけで喜んでくれる人もいたり、おじいちゃんおばあちゃんのような包容力で、子どもが育つことだってある。

他にも、考えることが好きなら研究してみたり、笑顔が素敵な人はみんなを明るくできるだろうし、話が上手ければ教えたり接客してみたり、裁縫が得意なら洋服やぬいぐるみを作ってみたり、子供と同じ目線で話せる人はそうしてみたり。

出来ることをすることは、結果、誰かのためになったりする。ということを学びました。

まとめ

人との繋がりにおいて、何が正解なんてわからないけど、『協力』や『主従』も、お互いに依存していない状態であったなら、「してくれたからやってあげる」のような”取引き”にはならないと思う。そういう枠を壊すのは『返報性の原理』ではなく、人間味のある『感謝のサイクル』だと感じるから

それこそ、”個”という存在をお互いに認め合うことができた世界だと思います。”当たり前”と思うことを辞め、”してくれた”相手の時間に感謝する。お互いを高め合い、助け合い、補い合うことができたなら、きっと乗算的に加速し始めると思います。

そのためにまずは献上ではなく、謙譲する心を忘れず、相手も自分も大切にして過ごしていきたいですね。

 

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました