個性を大切に生きること

過去、2021年の9月頃に感じたことを振り返りました。これは、個性が尊重され各メディアに色んな方たちが出ていき始めたときに思ったことの話です。

これは、一人間の理想論のような雑談です。

思考の一つの種になれれば幸いです。

個性の強弱

個性とは、誰でも持っているものです。あなたの声も、その目も、その考え方だって。それぞれ”私”という考えを持って主張し、行動しています。私自身も、このブログを書いてるように。しかしなぜ、他人との個性に差があるように見えてしまうのでしょうか。

それを紐解くにあたって、”私”という存在のアクセルとブレーキのお話をしていこうと思います。そのためには前提として、私たちは主張し、行動している”力(ちから)”を誰でも持っていることを思い出していて欲しいです。

主張には二種類ある

「私は、海の動物たちとふれあい、研究するために水族館で働きたいです!」
もしも、身内にこんなふうに宣言する人がいたら、応援したくなりませんか?

「私が鯨の秘密を研究して見つけるんだ!」
一人で解き明かそうとする覚悟を尊敬します。ですが、少し引っ掛かりがある言葉にも聞こえてきます。気のせいでしょうか。間違ってる、間違ってないで考えるのではなく、失敗した時に危うげない感じです。

(名探偵コナンの白バイ隊員の千早が、高木刑事に気づくあれです。)

高木刑事は危ない

”私”というものが”私が・僕が・俺が”となったとき、それは自分以外のものを否定した”我(が)”というものに変わるものでもあります。

それはまるで、無意識に行動している高木刑事の”自己犠牲”にもなり得ますし、「私がしてあげた」「私のおかげで」のように、他人から認められない不平・不満が大きくなったものにもなり得ます。

自分の行動が失敗したり認められなかったとき、「修正していけばいいんだ」って思う人もいる一方で、「間違いだった」と悲しくなる人もいるように、心がどこに向いているかによって感じ方が違うのかと思います。

個性に強弱はない

つまり、”私”という”個性”の強弱とは、『ないもの』であり、元々備わっているものを「やりたい」か「認められたい」かのどちらかを理由にしているもの。

個性とは、押し付けるものではなく、押し出して光輝くものでもあります。

ドリームキラーに気をつけろ

間違えてはいけないことは、押し殺してしまうことです。

大体、自分のやりたいことが見つかったのに、不安でいると集まってくるのが”ドリームキラー”というやつです。できそうにない不安な気持ちを肯定する言葉を、とにかく投げつけます。(例えようとする口を防ぎます)

ですが、周りは全て敵だと否定すれば、高木刑事のように一人で突っ走るようなことになりかねないので、契約の交わるものや、怪しくて金額の高いものなどは世の中にゴロゴロしているので、相談できる相手が一人でもいると良いと思います。

車を買う時の失敗談や外国人店長との駆け引きなどあるので、書いた時に読んでもらえれば良いと思います。

まとめ

以上、何かに悩み動けない時間があるなら、徒歩でアイスを買いに行きながら考えてたって良いじゃないのっていうお話でした🌟

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