誰かの唱える”秩序”ではなく、もとからあるような今、目の前の”秩序”という大きな存在に気づくことから、この話をしていきたいと思います。
大きな”秩序”→自然
遠くの山が見えますか?それとも、山を見たことはありますか?
山に生えている木は、元からそこにあったわけではありません。
小さな種が芽吹き、やがて大きく育った木という存在がそこにはあります。
木の連なる森は、広い大地から始まります。
この大地こそ”地球”と言います。『母なる大地』とは、全てを産む源にあると考えます。
共存している
本能のままに生きている動物たちが、そこで暮らしています。『母なる大地=地球』ということなので、それは陸の上に限らず、海の生物たちも言えることでもあります。彼らは命を刈り取り奪い合っているわけではありません。それは生かし生かされているようなもので、”共存”しているのです。
弱肉強食という言葉でまとめると、人は可哀想だと思う人もいるかもしれませんが、彼らはそれで繋がっているのですから、それは『連鎖という名の共存』なのだと考えます。
この『弱肉強食を人間に当てはめてしまうことは愚かなこと』だと伝えられることが、この話のもう一つのテーマでもあります。
共生している
食物連鎖の始まりの話をしていきたいと思います。肉食動物たちが狙う草食動物たちがいて、彼らは草や果実を食して生活をしています。その草花を支える昆虫たちだっています。草花は自力で種を生み出すことはできないので、甘い香りで虫たちに来てもらい受粉するのです。
共生というのは動物だけの生活だけではなく、動物と植物の関係もあるのです。
もっと広くいうのなら、大地がなければ草木は芽吹かないし、水が干上がってしまえば生活する場所も無くなってしまいます。すべての存在があることで成り立っていることでもあります。
人間はこの大地を借りて生活を営んでいるのですから、なんでも”エコ”という正しさの目標で考えてしまえば、森林を伐採して山に施設を作り、エネルギー事業を展開させようということで、動物たちの住む場所は狭まり、食べ物がないから降りてくることもあります。
それを見て、動物たちはとても怖いものであると感じるかと思います。ですが、動物たちの連鎖は”当たり前のもの”なのですから、彼らは刈り取るために生きているためではないのです。思い出して欲しいのは、彼らには彼らの生活圏があるということです。
間違えて欲しくないことは、彼らは”襲わないものではない”ことです。正しく恐れるとは、このことだと思います。動物の命は大切です。しかし、やらなければやられるのである場合では自衛するのは当たり前のことだと思いますから。
どうしても、保護という観点で反対されることもあるでしょう。だから猟師さんたちがいるのです。
話はだいぶ外れてしまいましたが、共生とは『争わずに生きる最低限の生活圏を守る』ことであると考えます。
まとめ
「知能を持つ人間のできることは何でしょう」と唱えることではなく、「この地球で最大限楽しみましょう」とした方が明るいなって感じます。もちろん、『共存と共生』を忘れずにね。
それでは、また。
コメント