電池と螺旋の話

今まで話してきた、『電池』『言霊』『螺旋と魂の上下』から、まとめとして、それらからみた魂の行方についての雑談をしていこうと思います。

見えないものについての話なので、オカルトも神様とかいろいろと肌に合わない人もいるかもしれません。

 

振り返り

『螺旋と魂の上下』では、この世界の理として、見えない世界の厳正な秩序の話をしました。そこでは、この世界は支配できないものなんだから、自分の魂の上下を考えたら良いんじゃないのでしょうか?とお伝えしようとしました。

この考え方であれば、『王様戦隊 キングオージャー』の伝えたいことがわかるのではないかなと思います。

 

『電池』からは、身体の機能と電池ってなんか似ている気がしますねという話。血の通う身体では、色とりどりのエネルギーが発揮されてます。もしかすると人の活力は、コードレス工具についているバッテリーのように、種類によっては電圧の容量の違いがあり、”力”があったり弱かったりするのかもしれません。

だけどもそのバッテリーの容量を変えられる可能性を、魂は持っているかもしれないと、うっすら伝えようとしました。

 

『言霊』では、振動によって水の結晶の形を変えるので、相手の水の結晶の形を美しいものに変えてあげるには、言葉に気をつけましょうと言いました。つまり綺麗な言葉であることは、美しく光り輝く属性にあることを伝えようとしました。

 

まとめ

私たちの身体にある血肉や細胞は、美しい振動により光だし、その光の結晶たちの密度が上がっていくと、太陽の光が木の幹を照らしても反射しないのに対して、宝石は何倍にも光り輝いて見えると同じように、人間の素となる粒子を高めることが、この世の修行なのかもしれないと考えています。

魂の行方というよりか、自分の肉体の見えない粒子を満たしていきましょうというお話でした。もしかしたら上下に動く魂が、光り輝いて行くことができるのは『美しさ』なのかもしれません。

素晴らしい食べ物を食べたり、美しい音楽や芸術を観るなど、本物の調律をした振動数に触れることで、自分の乱れた粒子は音叉と同じように調律が合ってゆく。しかし、そういったもの自分のみで独占していたら、果たして『閻魔の帳』には何て書かれるのでしょうか。

それこそ魂の行方とは、”神のみぞ知る”のであるのかもしれませんね。

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