見えない世界の螺旋の話

見えない世界の話と、螺旋の話の次のお話です。

それは陰と陽のようなもの。

この現実として、自然界には秩序があることを書いていきましたが、それが見えない世界にもあったらこんなんなのかなっていうお話でもあります。

見えない世界にも秩序が存在する

ここでのお話は、「見えない世界は存在しない。」「天国も地獄もない」と考えるのではなく、ただひたすらにイメージの世界でのことですので、そのことを鑑み、口に含んでいただけたらなという内容です。

「現実でしたことが良いことのようにあっても、上手くってない。」というのを”見えない世界”(以後の略:裏)に当てはめるとしたら、それはまるで、マリオカートでマリオがアイテムBOXに体当たりして、取れたのはダッシュきのこではなく、バナナが出てきたようなそんな感じ。

後でというか、いつか役に立つけど、早く前に進みたい時に何じゃこりゃっていうそんな感じ。

だから、裏の秩序というのは運みたいなもので、何が出るのか分からない。

自由と平等

”自由と平等”とういうのは良い言葉だと思う。だけど、それを問題にするようなことは本来ないものだと思う。だって元から自由でいて平等なのだから。人は、それを制限をされるから反発してるのではなく、権利を無視されて押さえつけようとされるから、反発が起きるんじゃないのかなと思う。

「人は元から”自由で平等”だ。」

それでもまだ、この言葉は実に危うい。それは文化を無視した発言や、自分の考えのみが正しいと主張することまでも肯定してしまうからだ。わがまま的考え方といえばわかるだろうか。文化人であることは野蛮ではないことなのだとしたら、お互い気持ちよく生活するルールを自分の都合にしてはいけないんだ。

要するに自由と平等には限度があるけど、それは他人が決めるものではないし、個人の勝手なルールで決めるものでもない。としたらもう、『お互いを大切にしましょうね。』としか言える言葉しかない。だって仲良くなんて無理だから。合わない人もいるだろうから、このくらいで丁度いいと思う。

音楽でいうと、『調律』と同じ考え。”ド”と”レ”を同時に弾くと不快に感じてしまうことに似ている。でも、組み合わせ次第で、合わない音がそろったとしても、別の音一つ混じることで、いい音に聴こえるように、組み合わせ方なんじゃないのかなってそう感じています。

愛と平和

音楽でいうと、すごい人たちは『Love&Peace(愛と平和)』を唱えてきた。彼らの音楽の全てを知らないけど、心地良く聴こえるものだった。長い間のこされる音楽を作った人が、意味のないことをわざわざ言うことはないだろうという信者というか、願いというか、そうあって欲しい感じなもの。

だから、『愛と平和』というの言葉は、大事にしたいなと思ってます。

これらと共に、過去の事柄を合わせて考えるとしたら。

裏の秩序とは形が決まっている

裏の世界の秩序の仕組みが決まっているとしたら。それはまるで、ボルトとナットのようなものだと思います。ボルトを垂直に立たせるために頭を下に置きます。そのボルトに合うナットが私たちの魂だとしたら。左回転で上に登り、右回転で下に降ります。

なぜなら、秩序が決まっているということは、ネジの切られてる方向が同じことであると考えているからです。これはイメージ。オリジナル定義です。

まとめ

見える世界と見えない世界が組み合わさったとき、それこそ白黒、陰陽、の回転が産まれ、交じり合い、軸が決まるそのとき、あとは登るか沈むかの一つにあると思います。なので、自分の”あり方”ひとつでどういう世界を作るのかが変わる。そんなところであります。

言いたいことは、闇堕ちすることを選ぶことはできるけど、伸びしろしかないと思うのも自分次第だよ。ということでした。

 

 

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