ただ、感じたまま。
今までのこと、まとめてお話作りました。
暇な時間にどうぞ。。
『』
光の届かない深い闇が全身を黒く染める世界。
辺りは暗く、何も聞こえない。
自分が今、立っているのか座っているのかさえわからない。
不意に両手で自分の頬を触ってみた。
そこには柔らかい頬がある。
大丈夫、大丈夫。
ふーっと息を吐いた。
ほっとして自分の手のひらを見ようとする。
だが、暗くて何も見ることはできない。
・・・。
何か音がする。
その音は次第に大きくなってきた。
なんだろ?リズムを刻んでいる。
うるさくて耳を塞いだ。
まだ聴こえる、、うるさい。
いい加減しろよ、、
腹立たしい。
すると今度は胸が苦しくなってきた。
身体が波打っているのがわかる。
あ、、わかった。
両手を耳から外した。
それは荒くなった自分の息使いだった。
辺りを見ても、そこにあるのは闇、闇、闇。
ここには自分しかいない。
何もできない。
途端に押し込めていた感情が決壊した。
もう、止まらない。
あ”あ”っ、う”あああああああーーーーっ!!!
・・・。
やがて涙は枯れた。
鼻をすする音と咳が鳴る。
擦った目がひどく痛い。
鏡に映る自分を想像したくはない。
きっと目は腫れているし、崩れた顔になっている。
もう嫌だ。逃げたい、、
何もしたくはない。
動くのをやめたい。
自分の腕で自分を抱えた。
今、見ているのが上なのか下なのか分からなくなった。
なんでここにいるんだろ。
もう一度、自分を抱いた。
・・・。
眠たくなってきた。
なんだか、ウトウトする。
目を閉じそうになる度に楽しかった日々を思い出す。
このまま、目を閉じて楽になりたい・・・
いいじゃないか、、
閉じても暗いんだから。
目を閉じたらどうなんだろ。
なんでもいい。
ふっと息を吐いて目を閉じてみる。
した途端に、
ーーーっつーーーぁぁあああー!!!
気づいたら意識が飛びそうになっていた。
間違えても眠ったらやばい。
何もかも無くなってしまいそうな感じがした。
このままでいいのだろうか。
一人じゃ嫌だ。。。
すると足が生えていた。
当てもなく誰かを探した。
ひたすら走った。
どこに行ってもそこは黒い闇。
だからもがいた。
もう、同じ場所にとどまる理由がなくなっていた。
道
どこまで走ったのだろう、、
同じところぐるぐるしてないのだろうか、、
気が滅入るほど、足が重たくなっていく気がした。
あっ、、、
前に出している足がよろめく。
次の足が出てこなくなっていた。
(・・・。)
頭から倒れた。
痛い、、これだけは確かに感じるんだよな、、
でも、まだまだ諦めたくはない、、
たぶん擦れてるだろう、手。
膝は、なんだか生温かい。
そんなのしょうがないって考えた。
・・・。
倒れたら気づいた。
そこには地面があったんだ。
見えなくても確かに歩いてきたんだ。
大丈夫、大丈夫。
自分に言い聞かせて立ち上がり、今度は歩いた。
すると、遠くで音がした。
音
どこかで音がする。
楽器の音だろうか。
誰かいるのかもしれない・・・
探すようにかけていった。
やがて走った。
必死に走りまわった。
でも、その足を止めた。
音は聞こえている。
でも近づいてこない。
辺りを見回しても見えない。
じゃあ、、この音はどこからきこえてくるんだ。
震える肩にこの身を預けて立ちすくむ。
こんなところはもう嫌だ。。
目元が熱くなった。
唯一の救いは、元から暗くて何も見えないのと
涙がでてこなかったくらいだった。
光
なにもない空間に手を伸ばした。
足は前にあった。
前を向いていた。
・・・。
すると小さな光が見えた。
光の線が足元を照らしていた。
きっと後ろはもう見ない。
ああ、、
自然とその方向へと向かっていった。
はじめに
この世界には生ける幸せと、誰にも理解されない不幸があると思います。
この世界で息をしていると、どこかには”不幸”が落ちていて、それがどこまでも続いてるように感じたとき、「人間の本質は善である。」という”性善説”と、その対である”性悪説”を引用される方に出会いました。
私たち人は、果たしてどちらなのでしょうか。それについて感じたことのお話です。あくまで自論です。
善と悪について
性善説・性悪説ということで、安直に善悪について考えると、「いいことをすれば”善”。悪いことをすれば”悪”」というように考えるのは私だけでしょうか。およそ、理性のない人間でない限りは善悪について考えるのは当たり前のように思えます。
しかし、それ以降は考えても善と悪については全くわからないのです。
なのでこう考えました。
闇ってなんだろう
暗くて何もかもが見えない闇。
光と闇は善と悪のように同じく二極であり、昼と夜といえばわかりますでしょうか。
悪を闇と仮定して、自分の身を光の無い空間に置いて想像してみると、ただ漠然と恐怖しかなかったです。
気づき
「人は元々、善だった、悪だった。」
それよりもむしろ人は明るいところに居たいんだと思います。
だから私は、「人は、心では善でありたい。」と考えます。
だから人それぞれの正義感を持っている。
親切な否定もするだろうし、
これはこうだと決めたら頑固にもなります。
でも、誰かを笑わせることができます。
他人の幸せを願います。
危ない道があったら止めに入ることだってします。
最後に
”人は明るいところにいたい”
光は、暗い場所があってはじめて明るいと感じます。
明るいという文字に太陽である”日”と、夜の”月”が含まれるように、どちらもあるんだと思います。
だからこそ、「ピンチはチャンス」なのかもしれませんね。笑
あなたの足で歩んでいってください。
では、また。
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